手取り16万新社会人女の貯金100万生活

新社会人だった1年で120万貯金できたブログ

2017年4月に新社会人になりました。就職から1年で120万円の貯金に成功。引き続き貯めます。好物はメロンパンスティックです。現在の貯金額は約310万円(2018年12月)引き続き頑張ります。

平成を駆け抜けた猛烈妻たちを思う。女に幸あれ

f:id:chokinol:20190114000153j:plain

 

 

 

「結婚したいなぁ」と、ずっと漠然と思ってきた。今も思っている、と思う。

 

同期入社の友人と焼き鳥を食べに行った時なんかも、ちょうど空いたお皿が目立ってきた頃、どちらからともなく言い合う。
「結婚したいなぁ」、「わかる~」と儀式のように呟く。

 

一人でいてもなんとなく将来の事を考えた時、”結婚”の二文字はごく自然に私の考えの中に組み込まれている。
当然のように、”結婚したら”と想像するし、”出産したら”まで想像する。容易に想像できる。


でもだからと言って、結婚に夢を見ているわけではないのだ。

 

結婚が大変な生活のスタートラインに立つことだということは、母親の背中をすぐ近くで見てきたから重々分かっている。

 

結婚は大変だ。
私は女だから、男の人の大変さはきっと予想できてないだろうし、知らないだろうから言及しないが、
兎に角、結婚が女にとって険しい山越えとなることは肌で感じて育ってきた世代だ。

 

 

 


東京オリンピックまであと1年数か月、2019年にいきる妻たち、母親たちは、
20代中盤の私にとっての職場の先輩であり、時に上司であり、また友人たちでもある。
彼女たちの日々の努力と苦労と、重ねていく失望、諦め、そんなこんなの末の方向転換の行く末を、全く関係のない他人として見ている真っ最中だ。

(ちなみに”そんなこんなの末の方向転換”とは、「他人は変わらない、自分が変わればいい」などのこと。)

 

 

 


昨年放送された山本文緒さん原作のドラマ『あなたには帰る家がある』の主演だった中谷美紀のブログに
こんなことが綴られていたから、ちょっとご紹介したい。


”・・・
普段は人目をはばかって罵詈雑言を口にすることのできない女性の心を代弁させていただきます。
自分は何も家事を手伝わないにもかからわず、妻や恋人への要求だけは高い男性は、まだまだたくさんいらっしゃるようにお見受けいたします。
あるいは、ゴミ出しをしたり、子供をお風呂に入れただけで、「俺は家事を手伝ってやっている」とご満悦の男性もいらっしゃることでしょう。
そんな男性のあれこれに、憤り、嘆息し、諦め、果ては没交渉となった女性たちの悲痛な心の叫びを盛り込んだリアルな物語であるのと同時に、
ともすればドロドロの惨憺(サンタン)たる作品になりがちなテーマを痛快に笑い飛ばし、たくましく生き抜く女性の姿をお見せしたいと思っております。
・・・”

Diary | Miki Nakatani - 中谷美紀オフィシャルサイト


これは、『あなたには帰る家がある』のドラマ内容を紹介する際に彼女が繋げた文章だ。
圧巻される程ストレートに、男女が一緒に生活を営みの中で女が蝕まれていく様に言及している。
(ストレートと皮肉が絶妙に絡まって、反論する言葉が咄嗟に見つからないレベルだろう。)


まだ結婚したこともない私だが、この文章にハッとさせられ、腹落ちさせられた。
子供のころから見てきた母の背中は、まさしく彼女のいう「憤り、嘆息し、諦め、果ては没交渉と」なっていった背中だった。
そして、今職場の先輩や上司、結婚し家庭をもった友人からランチタイムに聞かされる話もまさしくこの途中なのだ。

この女性の諦めと没交渉へ行きつくまでの心中の葛藤は、控えめに言っても壮絶だ。

私の母の場合、ほとんどそれは絶望からからの奇妙で不自然なまでの諦めへの道のりであったように娘の私としては思い出す。


育児、家事、家庭経済のあれこれ、互いの親戚との付き合い方、嫁姑問題、その他生活のありとあらゆることに関して
私の父は楽観的で思慮浅く、無責任だった。
そんな父と暮らす中で、何とか話し合いを持とうとし、現状を理解してもらおうとし言葉を尽くし、助けを求め、小さな思いやりを探していた母の壮絶な戦。

私の記憶の中では、その戦は4年程冷戦と激突を繰り返しながら続いたはずだ。

そして戦が終わるころ、父は何も変わらなかったが、母は恐ろしい程に変わっていた。
父のあらゆる無責任をないものとするようになった。
父の楽観的な話に適当に相槌をしながら、全く違う計画を一人で黙って遂行するようになった。
思慮浅さを無言で肯定し、距離を置き、父に理解を求めなくなった。


険しかった母の表情はすこしずつすこしずつ穏やかになると同時に、父との会話の最中に瞳が焦点を失うようになった。
まさしく”没交渉”だったと思う。
自分で選んだ好きな男に、理解してもらうこと、伝えること、助けを求めることをやめると決断した母。

その様は当時高校生だった私の目から見ても壮絶で、虚しく、悲しいものだった。


20代中盤のいっちょ前の女になった今、「結婚したいなぁ」とつぶやく私は、もちろん母の悲惨な背中を覚えている。
そして、高校生の頃見つめていた母の背中に、現在の先輩上司や友人の帰宅していく背中はおぼろげに重なる。

現役妻、現役母として5年以上過ごしている先輩上司はもう諦めの域に入っていると話す。
始まったばかりの妻、母としての生活に悪戦苦闘している友人らは憤り、嘆息しながらどうにか問題解決の糸口を探しているようだ。
はっきり言って、悲惨である。羨ましくもなければ、憧れも持てない。
百歩譲って、そんな日常の中に幸せな一幕が散りばめられていることを考慮したとしてもだ。


それでも、私は「結婚したいなぁ」と漠然と思う。
不思議だし、奇妙だ。

自分こそは結婚という戦に勝利してみせると心のどこかで思っているのだろうか。
勝利の基準もあやふやだけど、愛する男と相互協力の関係を気付けたら勝ち、とかだろうか?

結婚というこれまでの女性の人生のロールモデルから外れた人生を歩む勇気がないだけなのか。

そんな没交渉を経てもその先になお、結婚という制度がもたらす幸せがあるのではないか、と希望を持っているのか。


どれも当てはまるようにも、当てはまらないような気がする。


結婚って一体何だ。
幸せへの階段という幻想を抱けない私にとっての結婚って何なんだと考え続けている。

 

 

現在日曜の夜22時。

日本全国に散らばる小さな家庭の明かりの中にいる妻たち、母たちは、ホッと一息付けているだろうか。

明日から始まる新しい一週間の前に、日付が変わるあと2時間位、彼女たちのためだけのゆたかで穏やかな時間が流れますように。

 

 

そんなこんなと、明日は我が身の私は思うのだ。