父が思うより、ずっと
普段書いている節約・貯金系の記事とはかけ離れているけれど、
今回は私の家族、主に父とのことを書いてみたいと思う。
冷たく、恩をあだで返すようなことばかり思う、親不孝者の娘なので、
批判なんかもされてしまうかもしれないけど。
でもちょっと書いてみたい、という気持ちになった。
ゴールデンウィークで実家に帰省していたから。
父と母に会うのは、年末年始の帰省ぶりだから約4か月ぶりだった。
実家は何も変わらないし、父も母も働いている。
父にゴールデンウィークはないけれど、母は祝日休みなので、家にいて私の世話を焼いてくれた。
24歳の今思い返してみても、うちの父は普通の父親だったと思う。
気が優しく、少し自分勝手なところがあることは否めないが、毎日仕事に行って一家のささやかな生活を支えてきてくれた。
酒乱であるわけでも、仕事をしないわけでも、娘にセクハラするようなこともない、いたって普通の男性だ。
30代ー40代のサラリーマンとして現役バリバリの忙しさを乗り越えた父は、
最近食後の食器洗いやトイレ掃除、庭の草抜きなんかをかって出る。
一時期からは想像もできない位、家事をするようになった。
「なんていうの?家事メン?」と言いながら父はよく笑う。
父は私が帰省すると、よくビールやケーキなんかをお土産に買ってきてくれる。
私たち兄妹と母はそれを喜ぶし、一緒に晩酌をしたり、コーヒーを入れてケーキを食べたりする。
今回のゴールデンウィークもいつもと同じように過ごした。
だけど、私は、父のことが好きじゃない。
父のなんということはない話を、笑って気持ちよく聞いてあげられない。
帰宅する車の音を聞くと、鼓動が激しくなり、心底気が沈む。
私の帰省と父の休日がかぶると、母にいつも愚痴ってしまう。
父の食べる姿が嫌い(マナーが悪いのだ)、
テレビのチャンネルを勝手に変えられると絶望的な気分になる、
父がお風呂に入った後の湯気が気持ち悪く感じられる、などなど・・・・言い出せばキリがないほど、父のやることなすことが不快で、泣き出してその場を走り去りたくなる衝動といつも闘うはめになる。
そして、そんな自分が大嫌いだ。
父への嫌悪感と闘うと同時に、私はいつも自分への嫌悪感とも向き合わなくてはならない。
育てててもらったのにひどいじゃないか
心の優しい、ごくごく普通の父親なのに、なんで?
もう歳なんだから、優しくしてあげないと後で後悔するはずなのに
親を大切に思えないなんて、娘として大人になっていない何よりの証拠じゃないか
大黒柱としての多少の自己中なんてゆるせるはずじゃない?
レストランでもあるまいし、自宅でパスタをすするくらい、なんでもないじゃん
あふれでてくる罪悪感、自分への嫌悪感を夜にひきずり、私は毎晩床に就く。
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こちらの記事で過去、母と父について書いたことがある。
私の母にはかつて、父と闘おうとした時期があった。
母が父に協力を求めて頼ろうとしてなんども失敗し、
家事を手伝ってもらおうとして試行錯誤し、
傷つき、イライラし、
次第に諦めていったあの顔を、
私はそばで見てきました。
そして母の葛藤やイライラに付き合いきれず、
だからと言って快く家庭に時間を割けない状況で
ヘトヘトになって帰ってきた家でムッツリと不機嫌な顔をしていた父のことも見てきました。
母は父に、家庭についての理解と協力を求めて、彼女なりに闘っていたように思う。
その姿は不器用で、時に乱暴ではあったが、いつもその一言一句が切実だった。
母は一方的に父に怒り、失望し、期待し、そして絶望し疲れ果てていたように思う。
そんな母に父は寄り添うわけでもなく、朝が来てまた職場へと姿を消す、そんな生活を高校生の私は見ていた。
そして時がたち、私たち兄弟が巣立ち、また夫婦二人の生活が始まった。
初めての一人暮らしで娘の私が慌ただしくしている中、気が付くと、二人は笑い合うようになっていた。
50代に入って仕事が落ち着いた父は家事に取り組むようになり、
不器用で不出来な点はあるけれど、母はそれを許容し、ありがたがっている。
二人は一緒に日本酒を飲み、あーだこーだと言い合いながら楽しそうに晩酌をする。
父の食事のマナーを母はもうとがめないので、父ものびのびと音を立てながら食事を取る。
母は微笑み、父はよくしゃべる、二人で笑い合い、たまに湧き出る険悪な空気にも、それなりに二人だけで対応するようになっていた。
大学生ののんきな私はそれを見て、愕然とした。
そして、この家族における娘としての正しいふるまいがもはやわからなくなったのだ。
末っ子の私の役目は、母の愚痴を聞き、宥め、落ち着くのを待つお茶を一緒に飲んだりすることだった。
思春期に入っていた私は、父への嫌悪感がそれなりにあったこともあり、母に心底同情していたので、この時間が嫌ではなかった。
むしろ、母と同じように父の愚痴を言い、母と盛り上がったことさえある。(もちろん、他の兄妹や父には内緒だったけど)
古い家庭に育った父の、よく言えば昔の男性らしさの漂う自己中な言動も、
その場を乗り越えれば、母との対話の中で消化できたので、昔はなんとか耐えることができたが、
今はそれは通用しない。
母は父の言動について、何も言わないし、嫌な顔をしないように努めている。
母は言う。
「だって仕様がないじゃない」と。
・・・・・?
だって仕様がないじゃない・・・?
私はまたもや消化ができず、納得もできず立ちすくむ。
私だけが、高校生のあの、思春期の時のまま成長できていない。
だけど父と母は、夫婦二人でそれを乗り越えた。
お互いに心地いい距離感を探し、見つけ、そこに落ち着いているのだ。
私たち兄弟には話さないけれど、夫婦二人の話し合いがあったのかもしれない。
子育てが落ち着いて、張り詰めていたものがふっと消えた結果なのかもしれない。
理由はなんであれ、二人は落ち着き、もう依然のように消え入りそうな灯でつながった夫婦ではなくなっているのだ。
分かっている、心底分かっているけれど、心が追いつかず、
今年のゴールデンウィークも私は一人大人になれなかった。
晩酌しながら流れる父の話に精一杯にこやかに相槌を打ったが、うまくできていたか自信がない。
そしていつもと同じように、父と自分への嫌悪感にまみれて眠った。
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思い起こせば書ききれない程、父とは嫌な思い出があるし、
それと同じくらい楽しい思い出もある、そんな私たち親子はいたって平凡などこにでもいる父と娘だ。
父にも私にも、短所と長所があり、二人とも人間で、重ねた日々には重みもある。
20数年という日々の中で、時代を生きぬき、私をここまで育ててくれた父を
私は認め、好いて、ゆるして、気づかいたい。
心の底から、もう年老いてきている父との時間を楽しみたいと願っている。
馬鹿で能天気な私が大学生活を謳歌している最中、母がしてきたように。
来年のゴールデンウィークには、父と心の底から打ち解けて、ゆったりとくつろいで、笑いながら一緒にお酒が飲めるよう、
25歳になろうとしている、いい大人の娘の私は
重そうなドアをひとつかふたつ、開けなければならないと思う。
でも開けてみたら案外、自動ドアなみに軽く開くドアかもな、などと思いつつ、
新幹線に飛び乗って、私の働く街に帰ってきた。
来年のゴールデンウィークまでには、おいしいおつまみを選んでおかなくては、
と思いながら東京駅にならぶたくさんの土産屋を目じりに捉えておいた。